1993-05-11 第126回国会 衆議院 外務委員会 第7号
○高沢委員 さて、そのUNTACでありますが、こちらからそういう要請をした場合に、ではUNTACに、本当に安全対策をとるということのどれだけの能力が現実にあるのかということが私は問題だと思います。高田晴行さんが死亡された、そのときの事件も、ここにはUNTACのいわば警護の部隊がついていたのです。オランダの海兵隊が安全確保のためについてくれた。しかし、それが本当の安全対策にはなり得なかった。こういうふうに
○高沢委員 さて、そのUNTACでありますが、こちらからそういう要請をした場合に、ではUNTACに、本当に安全対策をとるということのどれだけの能力が現実にあるのかということが私は問題だと思います。高田晴行さんが死亡された、そのときの事件も、ここにはUNTACのいわば警護の部隊がついていたのです。オランダの海兵隊が安全確保のためについてくれた。しかし、それが本当の安全対策にはなり得なかった。こういうふうに
○高沢委員 お聞きすれば、結局、結論は、UNTACにさらなる安全対策を要請するというところに帰する、こう思うのであります。 そのUNTACの関係でありますが、今、村田自治大臣が行っておられますね。あしたお帰りということでありますが、文民警察官の安全のための配置がえというようなことも提起された、しかし、UNTACからそれに対する同意は得られなかったというようなことであります。こちらはUNTACに要請
○高沢委員 先ほど委員長の発議で黙祷が行われましたけれども、私もまた、犠牲になられた中田さん、高田さんの御遺族に深く哀悼の意を表し、また、重軽傷を負われたそういう方々にもお見舞いの気持ちをまず表明したいと思います。 それで、私きょういただいた時間は二時間でありますが、この情勢でありますから、やはりカンボジア情勢について前半の段階で御質問し、後半の段階で条約についての御質問をひとついたしたい、こんなふうに
○高沢委員 同じものを私ここに持っていますから、具体的に聞きます。 その会議の行われた本来の部屋の中にあなたはいたのか、そうでなくて隣の控えの間にいたのか、どうですか。
○高沢委員 私は、今ちょっとのど風邪で声が聞 きにくいかと思いますが、よろしく。 それからもう一つ、あなたはきょうは証人としてここへ来ているんであって、聞かれたことに端的に答える、こういうふうにひとつやってください。 初めに、先ほどの小沢証言で、その十月五日の東京プリンスの会議、私はその同席者でもなかったと、こう言われたわけですけれども、同席者でもなかったということの意味を、私、具体的にひとつお
○高沢委員 そういたしますと、金丸さんの指定団体がありますね、新国土開発研究会、この会は自治省への届け出はあなたが代表者になっている。それからあなたが事務担当者になっている。とすると、この政治団体の金の出入りとかそれの自治省への届けとか、すべてはあなたが取り仕切ってこられた、こういうふうに理解していいですか。
○高沢委員 その先生は、そこにいらっしゃる先生ですね。——ひとつ、先ほどあなたの言われた、まあ五億円の受領のことなどは率直に話していただきたいし、その配分先のことについても、まあひとつ率直に話していただきたい、こういうふうに私は思います。 それで初めに、あなたと金丸さんの関係ですが、まあ青木伊平さんは竹下さんと、本当に金庫番と言われて一心同体であった、こう言われておりますが、金丸さんとあなたもそういう
○高沢委員 生原さん、きょう、御苦労さま。 あなたにきょう証人として国会へ出ていただいたのは、御承知でしょうが、金丸さんがすべては生原君がやった、生原君に聞いてくれとこう言われるので、あなたに証人で出ていただいた、こういう経過があるわけです。 しかし、私は、あなたが悪いことをしたからここへ来ていただいているということはありません。それはむしろ、やったのは金丸さんです。その金丸さんの身がわりとしてあなたはこうして
○高沢委員 私は、この十一月の二日に、ここにおります仙谷代議士と一緒に京都へ参りまして、京都の会津小鉄の幹部の三神忠さん、こういう方にお会いしました。その三神さんはこう言っておりました。 昭和六十二年の九月末ごろ東京の稲川会の石井会長から電話が来た。そして、自民党は今こういう活動をやっておるが、これをとめてくれぬかというふうに石井会長から頼まれた。そこでこの三神氏は自民党の稲本総裁に連絡をとって、
○高沢委員 先ほど来、その石井会長が自民党の運動を抑えるという大きな役割を果たした、しかし私は全く知らなかった、こう言われているわけでありますが、しかし、これは日本の現代史の中のだれでも否定のできない客観的な事実です。 今あなたは、じゃ今あなたは、石井会長の働きによって自民党の活動が抑えられた、そしてあなたは総理・総裁になった、この事実は今は御承知でありますか。いかがですか。
○高沢委員 ただいまから私、竹下証人に対して御質問しますが、必要に応じてここにおります仙谷代議士がまた関連の質問、こういうふうに考えておりますので、その点をよろしくお取り計らいをお願いいたします。 さて、竹下さん、あなたにまずお聞きしたいことは、あなたと日本自民党の関係の中で非常に大きな役割を果たした先ほど来出ている稲川会の石井会長、この人の生前にあなたはお会いになったことがありますか。いかがでしょう
○高沢委員 そういたしますと、今度の共和事件は、恐らくまたもっと大きな、あなたにとっての経験になると私は思います。 ここで、あなたの政治家としての出処進退にもかかわるということにこの事件は必ずなる、こう思うのでありますが、以下、これからその根拠を申し上げたい、こう思います。 共和の元副社長の森口五郎氏、この森口五郎氏が、今回の共和事件にかかわる使途不明金がたくさんありました。それは、例えば貸付金
○高沢委員 まず初めに、あなたの倫理姿勢ということからお尋ねしたいと思いますが、ここにあるのは平成三年十一月十五日の参議院の、これは予算委員会です。この問題ではよく佐藤三吾参議院議員が登場されますが、これも佐藤三吾参議院議員の質問です。 リクルートの献金を受けたそういう政治家の人たちの言うならば反省あるいは倫理の考え方はどうかということを佐藤三吾委員は参議院の予算委員会で質問をされて、あなた、加藤
○高沢委員 上原委員の質問の関連質問ということで、若干の時間やらせていただきます。なかなかこの第一委員室活気がありますので、私も上原委員と同じぐらい大きい声でひとつやってみたい、こう思います。 私もまず第一に、かつてリクルートのときに五千株の株を受け取ったあなた、そしてまた今度の共和で一千万円を受け取ったと言われておるあなた、その事実についてはこれから聞きますけれども、そういう疑惑を持たれたというこのこと
○高沢委員 そうすると、法哲学の根本的な転換ではない、やはり少年法の関係はそういう保護的な、福祉的なということであるが、ただその関係で少年といえどもある期間拘束される、自由を抑えられるということで受ける被害的側面に着目してそれは補償するというふうになった、こう理解してよろしいわけですか。
○高沢委員 私は法理論とか法哲学なんていうことはまるっきり素人でありますが、ただ、今の局長の御説明で、刑事補償法ができたときに少年の関係はむしろ国親思想で保護的な、そういう観点だから補償という扱いをしなかったという御説明があります。今回、しかし最高裁の決定等もあっていよいよこれができるということになったというその前提で、一種の法哲学的な、法理論的な、国親思想の何か転換というか見直しというようなことがあったのかどうか
○高沢委員 大臣以下皆さん、御苦労さまでございます。私、刑事補償法、少年補償法に関連して若干お尋ねをいたしたいと思います。 一番初めに、刑事補償法は昭和二十五年以来施行されてきているわけでありますが、少年補償法が今回制定されるということで、これだけの時間の差があった、おくれたということはどういう事情なのか、初めにそれをお尋ねしたいと思います。
○高沢委員 今完全かつ最終的に清算されたということが説明があったわけですが、どうも最近の韓国と日本との関係を見ますと決して完全かつ最終的ではない、こう思わざるを得ない動きが次々に出ているわけであります。その一例として、一昨年韓国の盧泰愚大統領が来日されましたが、その際に、日本で、広島、長崎で原爆を受けた被爆の韓国の人たちに対する、これは補償というべきなのか何かあれですが、被爆者援護基金として四十億円
○高沢委員 今韓国側からのそういう八項目の御説明がありましたが、この際参考のために、日本側から対韓国でそれに類するような、これはこういう請求権があるよというようなことの提示はあったのかどうか。これはどうでしょうか。
○高沢委員 私は、前々回のこの法務委員会におきまして、戦争の終わるとき、長崎県の三菱重工の造船所で働いていた金順吉さんという徴用工の人の賃金の未払い問題、今その方がまた日本へやってきて支払いを求めている、この問題についてお尋ねいたしました。それで、なお若干そのことでお尋ねしたいことがありますので、きょうこれからその質問を申し上げたいと思います。なお、きょうは主として外務省関係でお尋ねするようになると
○高沢委員 それではもうちょっと具体化してお尋ねしたいと思うのですが、この種の問題について今までの日本政府の立場は、それはもう日韓の条約ができております、日中の条約もできておりますというような形で、東南アジアの国ともそれぞれにもうそういう戦後処理の条約はできております、そういう中で賠償問題とか請求権の問題はもう解決済みでありますというのが今までの我が国政府の公式な立場であったわけでありますが、先ほど
○高沢委員 今の大臣のお答えでありますが、大臣は、法務大臣であると同時に国務大臣であります、そしてまた大変練達の政治家であります。したがいまして、そういうお立場で、日本の要するに責任の問題というか、償いをすべきであるという問題は、これはまさに日本国民がみんなで負っている責任だと私は思います。そういう日本国民を代表する政治家としてのお立場で、あなたのそれこそ御所見、そこにおのずからあなたの哲学もあるであろうし
○高沢委員 私は、今の外登法の審議に関連いたしますが、第二次世界大戦の段階において朝鮮人の徴用工あるいは強制連行の人たちを雇用している、その未払い賃金がどうなっているかというようなことを質問をしながら、現に今長崎でその具体的なケースも起きておりますので、それにも触れる形でひとつ質問をいたしたい、こう思う次第であります。 初めに、これは法務大臣にお答えをお願いしたいのでありますが、第二次世界大戦で我
○高沢委員 国連関与の仕方ということが非常にデリケートだと今おっしゃいましたが、それとの関連で当然我が国も国連加盟国、そしてアジアにおける重要な国として、このカンボジア問題が解決される、そこに国連が関与していく、その関与していく中に、日本も一定の役割を持って関与していくというようなことになるのじゃないかと思いますが、この辺の関与の仕方あるいは関与する範囲といいますか、あるいはどういう問題で関与するというふうなことがもう
○高沢委員 このへン・サムリン大統領とのお話し合いで、我々も非常に強く印象を受けたことは、要するに四派の話し合いが進行していって、我々カンボジア人の話し合いで結論がつくということですね。そのときは、カンボジア人の話し合いで決まったことをそのままひとつ国際的に尊重してほしいという一種の民族自決、こういうふうな考え方が非常に強い、こう感じたわけです。 具体的には、今まで対立していた三派側のシアヌーク殿下
○高沢委員 ただいま新井委員、上原委員からペルーの問題で集中的な御質問がありましたが、私は、きょうは若干アジア問題についてお尋ねをいたしたいと思います。 と申しますのは、この七月十日から十八日まで、日本・ベトナム友好議員連盟というものがございまして、今櫻内衆議院議長がその会長をずっとお務めでありまして、櫻内議長に団長をお願いして、その代表団でベトナムあるいはカンボジアを訪問してきた次第であります。
○高沢委員 これは厚生省かと思いますが、こういう条約をやるのに国内法の整備が当然あるわけですが、国内法の整備はどういうふうに進められて、どういう問題点を処理されたか。
○高沢委員 外務省から急ぐ理由を聞かされた中で、サミットが行われる、サミット参加国ではもう日本だけだというような説明があったわけですが、サミット参加国でまだ締結していない国はどことどこがありますか。
○高沢委員 初めに、これは外務省に対するお尋ねですが、国会がいよいよ終わる、こういう会期の終わるときになってこの条約を承認してほしい、こう出されてきたその背景、理由は何ですか。
○高沢委員 そういうアジアの集団的な平和保障といいますか安全保障といいますか、というふうな体制をつくるのにこれから関係国と話し合いながら、当然の大臣のお答えではありますが、私の気持ちとしては、もうこの段階では、ちょうどヨーロッパが既にそういう状態になったわけですけれども、アジアでそういう状態をつくるのに、やはりまず日本がひとつこういうアジアの平和保障、集団保障の体制をつくろうじゃないかということを提唱
○高沢委員 今、大臣のお答えの中で、国連憲章の本来の精神に一歩近づく時代が来た、こういうお話がございました。 ただ、私の考えとしては、確かに国連というのは普遍的な世界平和を保障する機構であり、その理念が憲章にあらわれていると思いますが、しかし、前提はあくまで各主権国家、これが国連の加盟国であって、主権国家を前提とする以上は、いわゆる個別の自衛権とか集団自衛権とかいうふうなものも認める立場の国連憲章
○高沢委員 大臣、きょうは非常に長い時間の委員会になりますが、御苦労さまでございます。 私は初めに、明治以来の日本の外交の歴史を振り返って、これからの日本外交のあり方というふうなことをまず大臣にお尋ねをしてみたいと思います。 明治以来の日本の外交の道筋を振り返ってみますと、日本が初めて外国と結んだ同盟条約は日英同盟条約であったわけです。これは、一九〇二年、明治三十五年に締結をされておりますが、当時
○高沢委員 その国連協力ということなんですが、私の知る限り、今まで国連の総会とかいうところで軍縮関係とかあるいは人権の関係とか、そういうふうないろいろな決議がなされてきましたけれども、大体いつもアメリカと歩調を合わせて反対をする、棄権をするというふうな態度で来たのが今までの国連に対する日本の政府の態度であった、私はこう思うのです。 ここに来て今度はにわかに国連、国連と言い出したわけで、それにしても
○高沢委員 今山口さんは、東西冷戦構造が根本的に変わった、そのもとにおいて日本の外交政策や安全保障政策の根本的転換が必要である、こうおっしゃいましたが、私の見るのに、今までの冷戦の時代は、日本が何か国際的な判断をする、国際関係をどうするかという場合の判断の基準は、ほとんどもう一〇〇%と言っていいくらいアメリカとの関係はどうか、アメリカはどう言うかということを判断の基準にしてきた、私はこう思います。今
○高沢委員 本日、意見の陳述をしていただきました六人の先生方、本当にありがとうございました。私と池端さんを含めて社会党三十分の持ち時間ですから、すべての方にお尋ねすることはできませんが、その点はお許しいただいて、順次お尋ねをさせていただきたいと思います。 初めに、山口さんにお尋ねしたいのであります。 言うまでもなく、今までの東西冷戦激化の時代、米ソ対決の時代、そのもとにおいて日本は日米安保条約を
○高沢委員 せっかくの上田委員の質問の途中に議事進行の発言ということで中断をしていただくことは大変申しわけありませんが、委員長初め委員各位のひとつお許しをいただきたいと思います。 私が議事進行の発言をいたしたいと思うのは、この平和協力法案の大前提である国連決議といわゆる多国籍軍との関係、この関係について重大な疑義が出てきたということで、この議事進行の発言を求めたわけであります。 御承知のとおり、
○高沢委員 けさの朝日新聞でありますが、その投書欄にこういう投書が出ているわけであります。ちょっと長いけれども読ましていただきたいと思います。 イラクがクウェートに侵攻したのは認めがたい。しかしこれは基本的にはアラブの問題であり、他民族が介入すべきではない。にもかかわらず、それが世界を揺るがしているのは、そこに石油が出るからであり、石油がなければアメリカも大軍を派遣することはなかった。つまりアメリカ
○高沢委員 そういう平和解決の事態が出てきたとき、もうまことにすばらしい好ましい結果であるわけですが、そのときに世界の国々が、この平和解決の中で日本はこういう役割を果たした、日本がこうやってくれたから平和解決ができたというふうな評価をする何かがあるでしょうか。いかがお考えですか。
○高沢委員 私は、まず初めに、今の世界の動き、現在も動いていると思いますが、中東問題の平和的解決、これに向かってソビエトのゴルバチョフ大統領の特使のプリマコフ氏がイラクのフセイン大統領と会談をした。あるいはまた、ゴルバチョフ大統領はスペインから今度はフランスへ回ってミッテラン大統領と平和解決のための話し合いをされているというような動きがあり、さらには、新聞の報道ではアメリカのブッシュ大統領も平和解決
○高沢寅男君 (続)防衛庁長官、あなたは、自衛隊員及びその家族に対し、今後は君たちは海外出動を命ぜられることもあるけれどもそれでもよいかと、あなたは自衛隊員と家族にお尋ねになったことがありますか。私は海外出動は嫌だ、こう言う隊員が出ることは当然予想されますが、これらの海外出動を断る隊員に対していかなる処置をされるお考えか、防衛庁長官のお考えをお尋ねいたします。(拍手) さて、私の質問を終わるに当たり
○高沢寅男君 (続)異国の地で、戦死することもありましょう。重大な戦傷病を受けることもありましょう。これは、自衛隊の隊員及びその家族から見れば、自分たちは政府にペテンにかけられた、このように考えるのではありませんか。(発言する者あり)
○高沢寅男君 私は、日本社会党・護憲共同を代表いたしまして、ただいま議題となりました国連平和協力法案、この法案は、名前は平和協力法案でありますが、中身は戦争協力法案であります。(拍手)この法案の撤回を求める立場に立って、以下、総理並びに関係大臣に質問いたします。 まず、私が問題としたいことは、この法案がなぜ今この臨時国会へ提案されてきたかということであります。その答えを私から言いましょう。 総理
○高沢委員 今大臣のお答えで今年度、こういうことを言われたわけですが、そうすると、この十億ドルの次には、来年度はまた何億ドルというふうなことが、紛争がそれまでに終われば別ですけれども、紛争が継続しているとすればそういう性格のことである、こういうふうに理解してよろしいですか。
○高沢委員 私のお尋ねにはやや足りなかったと思うのですが、十億ドルという額になったその積み上げの基礎はどういうことであったのかということをお尋ねしたわけであります。
○高沢委員 大臣、本当に御多用の中を、それこそ東奔西走しながら、また国内におられても、シェワルナゼ外相を迎えるなど大変御多忙の中できょうの外務委員会に御出席、まことに御苦労さまでございます。 今度の中東紛争は、まさに東西の冷戦体制が終わった、そういう新しい枠組みの中で発生した紛争であります。したがって、この紛争の解決の仕方、どういうふうにこの紛争を終息させるかということは、むしろこれからの国際情勢
○高沢委員 私は、今の国際情勢の発展していくテンポを見ますと、今言われた金丸元副総理の朝鮮訪問は、私はもう年内にこれが実行されるというふうになることが、そうなると思うし、またそうすることが非常に必要ではないのか、こんなふうに思いますが、金丸元副総理が行かれるときに、総理はこの金丸代表団を総理の特使、こういう位置づけを与えるお考えがあるかどうか、私はこれは非常に重要なことになると思いますが、そういうお
○高沢委員 その関係でありますが、かねてから自民党の金丸元副総理が朝鮮を訪問されるというふうなことがずっと伝えられているわけであります。私は、もしそれが実現すれば、我が国とそして朝鮮民主主義人民共和国の間の最初の大きな扉を開く、そういうチャンスになる、こう考えておりますが、その金丸元副総理が訪問される、あるいは総理から言わせれば派遣される、そういうタイミングあるいはまたそのときはこういう条件があればというふうなことをどのように
○高沢委員 総理、きょうは当外務委員会へ御出席まことに御苦労さまでございます。 私は対朝鮮問題、対ソ連問題、この二つの点について順次御質問をいたしたい、こう思います。 最初に、朝鮮関係でありますが、先般韓ソ首脳会談が行われまして、これは大変国際的に大きな波紋を呼び起こしておるわけでありますが、韓国の盧泰愚大統領は、続いて中国との首脳会談もやりたい、こういう意欲を示しておられるわけでありますが、ただ
○高沢委員 その外国税額控除制度の問題ですが、我が国は諸外国に比べてこの外国税額控除制度が非常に優遇され過ぎているのじゃないか、こういう声があるわけであります。例えば、一昨年十月十三日、衆議院の税制問題特別委員会で、当時の宮澤大蔵大臣が次のような答弁をされておるわけです。 一般的に外国課税の控除、海外課税の控除の問題は、我が国が、先ほどから申しましたが、ちょっとずつ甘目なところが私はやはりありますと
○高沢委員 まず私は、事務当局から質問をしながら、順次また大臣にお尋ねするというふうに入りたいと思います。 初めに、今回の日タイ租税条約でありますが、この改正によって従来とどういう違いが出るか、まず総論的にお尋ねをいたします。
○高沢委員 そういたしますと、もう一つの例として南アフリカのアパルトヘイト、これに対しては、経済的な制裁を加えるとかいうような形で、人道問題ですから、これはただ単なる内政では済まぬというような国際的な対応がありますね。これも一つのケースであると考えていいですね。
○高沢委員 そういう内政干渉という事態が起きた場合に、何か国際的枠組みでそういうものをやめさせるとかいうふうな、枠組みというふうなものは一体考えられるのかどうか、この辺はいかがでしょうか。
○高沢委員 私は、きょうは内政干渉という問題、その問題を下敷きにしながら幾つかの問題についてお尋ねをいたしたい、このように考えます。 まず、内政干渉ということの定義を政府としてはどのようにお考えか。昭和六十一年の二月二十六日、この衆議院の外務委員会の審議がありまして、その際、日本が他国に対して経済の援助を供与する、その援助の供与との関連で、相手国に対する内政干渉のようなケースが出るということが心配
○高沢委員 谷野局長も言われたとおり、大変デリケートな問題なので、この点に余り踏み込んだお答えも無理かと思いますが、それでは、中印関係がこういうことにもかかわらず相互に前進することを期待するということで一度おさめておきましょう。 文明論の立場から、かつての世界はギリシャ、ローマの地中海の時代であった、その次に来たのは大西洋の時代であった、これからはもう太平洋の時代だ、こういうことを言う学者の方もありますけれども
○高沢委員 私も、流れはそういう方向だと思いますが、ちょっと気がかりなのは、最近ダライ・ラマがノーベル賞をもらったという問題ですね。ダライ・ラマという人はもともとチベットの方であって今インド政府の保護を受けておる、この関係で中国はダライ・ラマがノーベル賞をもらったということに大変不快感を表明しているというふうなことがありますが、これが変にチベット問題に反作用して、そしてそれが中印関係の緊張をまた招くというふうな
○高沢委員 大臣、衆議院の外務委員会としてはきょう初めて大臣をお迎えいたしましたが、御就任に心からお祝い申し上げ、また今後の御健闘をまずお祈りいたします。 ただいまの租税二件について、ただいまから御質問いたしたいと思います。 初めに総論的な御質問を申し上げたいと思いますが、かつてアメリカとソ連の大変な対決の時代があった、今それは対話と協力の時代に変わりつつあります。米中も同じような大変な対決があったが